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	<title>お知らせ・行事&#124; 神勝寺</title>
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		<title>弥勒之里美術館　休館のお知らせ</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Apr 2012 06:48:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<description><![CDATA[弥勒之里美術館は、皆様のおかげを持ちまして開館25年を迎えました。それにともなって施設も老朽化しました。
皆様に快適に作品を鑑賞していただけるようにと、本年6月より施設の改修を行うことになりました。
平成24年5月末まで、通常営業いたします。　(但し、喫茶コーナーのランチサービスは　5月6日までとさせていただきます。)　
何かとご不便をおかけしますが、何卒ご了承ください。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>弥勒之里美術館は、皆様のおかげを持ちまして開館25年を迎えました。それにともなって施設も老朽化しました。</p>
<p>皆様に快適に作品を鑑賞していただけるようにと、本年6月より施設の改修を行うことになりました。</p>
<p>平成24年5月末まで、通常営業いたします。　(但し、喫茶コーナーのランチサービスは　5月6日までとさせていただきます。)　</p>
<p>何かとご不便をおかけしますが、何卒ご了承ください。</p>
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		<title>弥勒之里美術館　　所蔵作品展Ⅰ「牡丹・杏・藤を描く」　</title>
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		<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 03:05:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[美術展]]></category>

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		<description><![CDATA[会期　2012年3月3日(土)～2012年5月31日(日)
会場　弥勒之里美術館　第４展示室
　― 藤、杏、牡丹の花などを中心に描かれた作品を展示しています。―
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>会期　2012年3月3日(土)～2012年5月31日(日)</p>
<p>会場　弥勒之里美術館　第４展示室</p>
<p>　― 藤、杏、牡丹の花などを中心に描かれた作品を展示しています。―</p>
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		<item>
		<title>弥勒之里美術館は、2012年2月より月曜日が休館日となります</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 09:26:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<description><![CDATA[■弥勒之里美術館は、2012年2月6日より、月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)を「休館日」とさせていただきます。　お客様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>■弥勒之里美術館は、2012年2月6日より、月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)を「休館日」とさせていただきます。　お客様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。</p>
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		<item>
		<title>無題</title>
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		<pubDate>Thu, 12 May 2011 01:07:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

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		<description><![CDATA[永源寺派管長　篠原 大雄　
人間には、比較的（この言葉がポイントなのですが）身体の大小があります。この差別を揶揄して、世間の俗言で「大男、総身(そうみ)に知恵が廻りかね、小男、廻ったところでしれたもの」といいます。又、足の大小についても「馬鹿の大足、間抜けの小足、丁度いいのがろくでなし」といいます。もともと、身体や足そのものは同じなのに、私共は、それに区別をつけて（これを分別ともいいます）ああだこうだと差別をつけてしまいます。この差別をつけることから生じてくるものを執着心といいます。そして、その執着心から生じてくるものを苦悩と呼んでいるのです。その苦悩を脱却するにはどうしたらいいのか、簡単です、差別、執着心を捨てようとせずに、我が物にして取り込んでしますのです。（これが実は捨てたことになります）（ここが大事な考えどころです）「からまれて　からまれながら　薫風に」というところが即ち「からまれて　からまれ抜けて　薫風に」してしまうのです。
　中国の話です。薬山禅師が道吾と雲岩という二人の僧を連れて散策しておりました。途中の路傍に両股の樹があり、一方は枯れ、一方は栄えていました。薬山は、「枯れた方がいいか、栄えている方がいいか」と二人に問いかけました。雲岩は、「栄えている方がいいでしょう」と答えました。すると薬山は「生き生きしている方が、いいのう」と云われました。一方、道吾は、「枯れている方がいいでしょう」と答えました。薬山は、「枯れたのも、枯淡で風情があっていいのう」と云われました。丁度、そこへ高沙弥(こうしゃみ)という坊さんが通りかかったので、薬山は、同じ質問をしました。すると高沙弥は、「枯れたものは、枯れるままに任せましょう。栄えたものは、栄えるままに任せましょう」と答えたといいます。薬山は、すばらしい見識だといって称賛したといいます。
　禅者は、枯者も栄者も、車の両輪のごとく鳥の両翼のごとく、二つが一つに融け合って差別を避け、いずれも認めて、跡をとどめぬ境地に到ろうと日夜努力しています。そこに、無心に生き、自由に生きる、人間の日々の本当の実生活があるのです。
　薬山と雲岩のいい問答があります。薬山が雲岩に尋ねます。
薬山「目の前に迫っている生死の問題を君は」どうしているか」
雲岩「私の目の前には、生死などございません」
薬山「二十年も百丈和尚のところで修行していて、まだ娑婆気が抜けておらんな」
雲岩「私はその通りですが、先生の悟りの境地はどうなのですか」
薬山「ぶるぶる、よろよろ、とぼとぼ、お恥ずかしい限りを尽くして、とにかく、やっとのことで、その日暮らしをしているだけだ」
　これでいいのです。これを安心(あんじん)といいます
（平成二十三年五月　無明会法話）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">永源寺派管長　篠原 大雄　</p>
<p>人間には、比較的（この言葉がポイントなのですが）身体の大小があります。この差別を揶揄して、世間の俗言で「大男、総身(そうみ)に知恵が廻りかね、小男、廻ったところでしれたもの」といいます。又、足の大小についても「馬鹿の大足、間抜けの小足、丁度いいのがろくでなし」といいます。もともと、身体や足そのものは同じなのに、私共は、それに区別をつけて（これを分別ともいいます）ああだこうだと差別をつけてしまいます。この差別をつけることから生じてくるものを執着心といいます。そして、その執着心から生じてくるものを苦悩と呼んでいるのです。その苦悩を脱却するにはどうしたらいいのか、簡単です、差別、執着心を捨てようとせずに、我が物にして取り込んでしますのです。（これが実は捨てたことになります）（ここが大事な考えどころです）「からまれて　からまれながら　薫風に」というところが即ち「からまれて　からまれ抜けて　薫風に」してしまうのです。</p>
<p>　中国の話です。薬山禅師が道吾と雲岩という二人の僧を連れて散策しておりました。途中の路傍に両股の樹があり、一方は枯れ、一方は栄えていました。薬山は、「枯れた方がいいか、栄えている方がいいか」と二人に問いかけました。雲岩は、「栄えている方がいいでしょう」と答えました。すると薬山は「生き生きしている方が、いいのう」と云われました。一方、道吾は、「枯れている方がいいでしょう」と答えました。薬山は、「枯れたのも、枯淡で風情があっていいのう」と云われました。丁度、そこへ高沙弥(こうしゃみ)という坊さんが通りかかったので、薬山は、同じ質問をしました。すると高沙弥は、「枯れたものは、枯れるままに任せましょう。栄えたものは、栄えるままに任せましょう」と答えたといいます。薬山は、すばらしい見識だといって称賛したといいます。</p>
<p>　禅者は、枯者も栄者も、車の両輪のごとく鳥の両翼のごとく、二つが一つに融け合って差別を避け、いずれも認めて、跡をとどめぬ境地に到ろうと日夜努力しています。そこに、無心に生き、自由に生きる、人間の日々の本当の実生活があるのです。</p>
<p>　薬山と雲岩のいい問答があります。薬山が雲岩に尋ねます。</p>
<p>薬山「目の前に迫っている生死の問題を君は」どうしているか」</p>
<p>雲岩「私の目の前には、生死などございません」</p>
<p>薬山「二十年も百丈和尚のところで修行していて、まだ娑婆気が抜けておらんな」</p>
<p>雲岩「私はその通りですが、先生の悟りの境地はどうなのですか」</p>
<p>薬山「ぶるぶる、よろよろ、とぼとぼ、お恥ずかしい限りを尽くして、とにかく、やっとのことで、その日暮らしをしているだけだ」</p>
<p>　これでいいのです。これを<strong>安心(あんじん)</strong>といいます</p>
<p align="right">（平成二十三年五月　無明会法話）</p>
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		<title>面白い話八つ</title>
		<link>http://shinshoji.com/info/?p=168</link>
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		<pubDate>Sun, 10 Apr 2011 15:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

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		<description><![CDATA[永源寺派管長 篠原大雄 老大師
 
　　一、面接
採用側「この仕事には責任ある人を求めています」
応募者「それならぼくは適任です。今までの職場では何かミスがあるとみんなぼくの責任だって言われてきましたから」
 
　　二、退職
会社員「おれが来週会社を辞めるって伝えたら、社長のやつ、がっかりしていた」
同僚　「今週じゃなくて来週って言ったからがっかりされたんじゃないのか？」
 
　　三、そのときのための修業
　女の子は料理や洗濯や家の掃除のしかたを学んでおくべきだ、と祖母はいつも言っています。伴侶が見つからなかったときのためだそうです。
 
　　四、呼び方
　意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。
　儀式が終わったあと、裁判長に向かって家政婦が尋ねた。
「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないのでしょうか、裁判長？」
　裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。
「伯爵夫人！今日のご機嫌はいかがですか？」
 
　　五
　ニューヨークからボストンへ犬を運ぼうとしたおばさん。ボストンで飛行機を降り、犬を入れた専用のかごを捜したがどこにも見当たらない。遺失物係の窓口で訴えたところ、係員たちが捜しに動いてくれた。
　かごは難なく見つかったが、中の犬は死んでいた。顔を見合わせた係員たちは、激怒する乗客の姿を想像して困り果てた。一人が名案を思いついた。
「こんなコッカ―スパニエルなら瓜二つなのがいくらでも手に入る。おれが行って買ってくる」
　てなわけで、係員たちは生きのいいコッカースパニエルの入ったかごを乗客に手渡した。
「あなたのかご、見つかりましたよ」
　女性がかごを開けると、元気な犬が飛びついてきた。彼女は目をまるくして叫んだ。
「これはわたしの犬じゃない！」
「どうしてそう思うんですか？」
「だってわたしの犬は死んでいたんですよ！ボストンの墓地に埋葬するために運んできたんですから」
 
　　六、官僚主義
　かつてソ連邦の最高の地位にいたゴルバチョフは、講演の時間に遅れそうなので焦っていた。運転手に急ぐように言ったが、スピード違反は犯せないからと、政府から派遣されていた運転手は速度を上げなかった。怒ったゴルバチョフは、おれが運転すると言って運転手を後ろの座席に座らせ、自分でハンドルを握り、猛スピードでハイウェーを突っ走った。それに気づいた一台のパトロールカー、違反の車を止めさせてから、ハンドルを握っていた上官が助手席の部下に命じた。
「運転手を逮捕してこい」
「ダー。ハラショー」
違反者のところへ行った警察官はすぐに戻ってきて報告した。
「まずいです、警部。お偉いさんの車だから逮捕などしたらわれわれ二人とも首が飛びます」
「お偉いさんって誰だ？」
「わかりません。でも、元書記長を運転手に使っているくらいだから相当えらいはずです」
 
　　七
　数年前にドイツに行ったときの話をちょっとしたいと思います。向こうの人は皆、背が高いですから、行かれた方はよくお感じになると思うんですけれども、小便をするのに非常に困るんですね。
　何か、先が便器につきそうな感じがしまして、非常に困るわけなんです。
　仲間が、それで大人の便器の横に、子供用の便器が一つ、二つあるわけですね。私は、まあ、小児用を利用してやっていたんですけれども、仲間の口の悪いのが、「それは子供専用だ」というわけです。
　それということで、こちらは「何をいうか、小便しているのは俺のムスコだ」というようなことを言ったということなんですけれども。どうも、お粗末でした。
 
　　八
　皆さん、マンホールの蓋を思い浮かべてください。マンホールの蓋というのは、相当重いそうなんですね。人がもし閉じ込められて、上げようとしても、なかなか持ち上げられないそうです。で、声を出してもなかなか聞こえないそうなんですね。
　じゃ、閉じ込められた人はいったいどうすればよいのか。穴も指一本出る程度なんだそうです。
　どうして、マンホールへ閉じ込められた人が助けを呼べるのか。皆さん考えられたことがあるでしょうか。
　私はある人に聞きましたら、そこから一万円札を、あのう、指を出してしまうと、車にひかれたりしますし、一万円札を出せば、通っている人が気がつくというんですね。
　それで、取ってしまわれないように、こうスーッと抜いて、声をかけて出してもらう。
　実際、あのう、工事の人は、皆、一万円札を必ずポケットに入れている、そういうふうに聞きました。
                                                                                                       （平成２３年４月 無明会法話）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">永源寺派管長 篠原大雄 老大師</p>
<p> </p>
<p>　　一、面接</p>
<p>採用側「この仕事には責任ある人を求めています」</p>
<p>応募者「それならぼくは適任です。今までの職場では何かミスがあるとみんなぼくの責任だって言われてきましたから」</p>
<p> </p>
<p>　　二、退職</p>
<p>会社員「おれが来週会社を辞めるって伝えたら、社長のやつ、がっかりしていた」</p>
<p>同僚　「今週じゃなくて来週って言ったからがっかりされたんじゃないのか？」</p>
<p> </p>
<p>　　三、そのときのための修業</p>
<p>　女の子は料理や洗濯や家の掃除のしかたを学んでおくべきだ、と祖母はいつも言っています。伴侶が見つからなかったときのためだそうです。</p>
<p> </p>
<p>　　四、呼び方</p>
<p>　意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。</p>
<p>　儀式が終わったあと、裁判長に向かって家政婦が尋ねた。</p>
<p>「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないのでしょうか、裁判長？」</p>
<p>　裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。</p>
<p>「伯爵夫人！今日のご機嫌はいかがですか？」</p>
<p> </p>
<p>　　五</p>
<p>　ニューヨークからボストンへ犬を運ぼうとしたおばさん。ボストンで飛行機を降り、犬を入れた専用のかごを捜したがどこにも見当たらない。遺失物係の窓口で訴えたところ、係員たちが捜しに動いてくれた。</p>
<p>　かごは難なく見つかったが、中の犬は死んでいた。顔を見合わせた係員たちは、激怒する乗客の姿を想像して困り果てた。一人が名案を思いついた。</p>
<p>「こんなコッカ―スパニエルなら瓜二つなのがいくらでも手に入る。おれが行って買ってくる」</p>
<p>　てなわけで、係員たちは生きのいいコッカースパニエルの入ったかごを乗客に手渡した。</p>
<p>「あなたのかご、見つかりましたよ」</p>
<p>　女性がかごを開けると、元気な犬が飛びついてきた。彼女は目をまるくして叫んだ。</p>
<p>「これはわたしの犬じゃない！」</p>
<p>「どうしてそう思うんですか？」</p>
<p>「だってわたしの犬は死んでいたんですよ！ボストンの墓地に埋葬するために運んできたんですから」</p>
<p> </p>
<p>　　六、官僚主義</p>
<p>　かつてソ連邦の最高の地位にいたゴルバチョフは、講演の時間に遅れそうなので焦っていた。運転手に急ぐように言ったが、スピード違反は犯せないからと、政府から派遣されていた運転手は速度を上げなかった。怒ったゴルバチョフは、おれが運転すると言って運転手を後ろの座席に座らせ、自分でハンドルを握り、猛スピードでハイウェーを突っ走った。それに気づいた一台のパトロールカー、違反の車を止めさせてから、ハンドルを握っていた上官が助手席の部下に命じた。</p>
<p>「運転手を逮捕してこい」</p>
<p>「ダー。ハラショー」</p>
<p>違反者のところへ行った警察官はすぐに戻ってきて報告した。</p>
<p>「まずいです、警部。お偉いさんの車だから逮捕などしたらわれわれ二人とも首が飛びます」</p>
<p>「お偉いさんって誰だ？」</p>
<p>「わかりません。でも、元書記長を運転手に使っているくらいだから相当えらいはずです」</p>
<p> </p>
<p>　　七</p>
<p>　数年前にドイツに行ったときの話をちょっとしたいと思います。向こうの人は皆、背が高いですから、行かれた方はよくお感じになると思うんですけれども、小便をするのに非常に困るんですね。</p>
<p>　何か、先が便器につきそうな感じがしまして、非常に困るわけなんです。</p>
<p>　仲間が、それで大人の便器の横に、子供用の便器が一つ、二つあるわけですね。私は、まあ、小児用を利用してやっていたんですけれども、仲間の口の悪いのが、「それは子供専用だ」というわけです。</p>
<p>　それということで、こちらは「何をいうか、小便しているのは俺のムスコだ」というようなことを言ったということなんですけれども。どうも、お粗末でした。</p>
<p> </p>
<p>　　八</p>
<p>　皆さん、マンホールの蓋を思い浮かべてください。マンホールの蓋というのは、相当重いそうなんですね。人がもし閉じ込められて、上げようとしても、なかなか持ち上げられないそうです。で、声を出してもなかなか聞こえないそうなんですね。</p>
<p>　じゃ、閉じ込められた人はいったいどうすればよいのか。穴も指一本出る程度なんだそうです。</p>
<p>　どうして、マンホールへ閉じ込められた人が助けを呼べるのか。皆さん考えられたことがあるでしょうか。</p>
<p>　私はある人に聞きましたら、そこから一万円札を、あのう、指を出してしまうと、車にひかれたりしますし、一万円札を出せば、通っている人が気がつくというんですね。</p>
<p>　それで、取ってしまわれないように、こうスーッと抜いて、声をかけて出してもらう。</p>
<p>　実際、あのう、工事の人は、皆、一万円札を必ずポケットに入れている、そういうふうに聞きました。</p>
<p>                                                                                                       （平成２３年４月 無明会法話）</p>
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		<title>才能と仕事</title>
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		<pubDate>Fri, 11 Mar 2011 15:00:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

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		<description><![CDATA[永源寺派管長 篠原大雄 老大師
(一）
「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這(は)いずりまわるよりも、おれの好むところを磨(みが)き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」　『峠　上』
 
 「人間の才能は、多用だ」
と、継之助はいった。
「小吏にむいている、という男もあれば、大将にしかなれぬ、という男もある」
「どちらが、幸福でしょう」
「小吏の才だな」
継之助はいった。藩組織の片すみでこつこつと飽きもせずに小さな事務をとってゆく、そういう小器量の男にうまれついた者は幸福であるという。自分の一生に疑いももたず、冒険もせず、危険の淵(ふち)に近づきもせず、ただ分をまもり、妻子を愛し、それなりで生涯をすごす。
「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」
　継之助は、いった。叡山(えいざん)をひらいて天台宗を創設した伝教(でんぎょう)大師(だいし)のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝である、というのである。　　　　　『峠　上』
 
 
（二）
「古人言(いわ)く、径(けい)寸(すん)十枚、これ国宝に非(あら)ず。一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり、と」
伝教大師最澄の言葉である。これは最澄の師、唐の湛(たん)然(ねん)の著作にある次の話を踏まえている。
　昔、魏(ぎ)王(おう)が言った。（私の国には、直径一寸の玉(ぎょく)が十枚あって、車の前後を照らす。これが国宝だ。）すると、斉(せい)王(おう)が答えた。（私阿国にはそんな玉(ぎょく)はない。だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。これこそ国の宝だ。）と。賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していれば、必ずものになるものだ。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて世のため人の為に貢献する。そういう生き方を考えなければならない。
　一隅を照らす者　これ国宝なり、とは、　
　そういう意味だ。
（平成２３年３月　開基忌法話）
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">永源寺派管長 篠原大雄 老大師</p>
<p style="text-align: left;">(一）</p>
<p>「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這(は)いずりまわるよりも、おれの好むところを磨(みが)き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」　『峠　上』</p>
<p> </p>
<p> 「人間の才能は、多用だ」</p>
<p>と、継之助はいった。</p>
<p>「小吏にむいている、という男もあれば、大将にしかなれぬ、という男もある」</p>
<p>「どちらが、幸福でしょう」</p>
<p>「小吏の才だな」</p>
<p>継之助はいった。藩組織の片すみでこつこつと飽きもせずに小さな事務をとってゆく、そういう小器量の男にうまれついた者は幸福であるという。自分の一生に疑いももたず、冒険もせず、危険の淵(ふち)に近づきもせず、ただ分をまもり、妻子を愛し、それなりで生涯をすごす。</p>
<p>「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」</p>
<p>　継之助は、いった。叡山(えいざん)をひらいて天台宗を創設した伝教(でんぎょう)大師(だいし)のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝である、というのである。　　　　　『峠　上』</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>（二）</p>
<p>「古人言(いわ)く、径(けい)寸(すん)十枚、これ国宝に非(あら)ず。一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり、と」</p>
<p>伝教大師最澄の言葉である。これは最澄の師、唐の湛(たん)然(ねん)の著作にある次の話を踏まえている。</p>
<p>　昔、魏(ぎ)王(おう)が言った。（私の国には、直径一寸の玉(ぎょく)が十枚あって、車の前後を照らす。これが国宝だ。）すると、斉(せい)王(おう)が答えた。（私阿国にはそんな玉(ぎょく)はない。だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。これこそ国の宝だ。）と。賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していれば、必ずものになるものだ。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて世のため人の為に貢献する。そういう生き方を考えなければならない。</p>
<p>　一隅を照らす者　これ国宝なり、とは、　</p>
<p>　そういう意味だ。</p>
<p align="right">（平成２３年３月　開基忌法話）</p>
<p style="text-align: right;"> </p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>シンプルがいい</title>
		<link>http://shinshoji.com/info/?p=152</link>
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		<pubDate>Wed, 09 Feb 2011 15:00:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://shinshoji.com/info/?p=152</guid>
		<description><![CDATA[永源寺派管長　篠原 大雄 老大師
私の一番好きな話を書きます。日露戦争で、連合艦隊の作戦参謀として活躍した、秋山真之のことです。彼は、兄の好古を頼って上京し、当時、陸軍士官学校の教官をしていた兄の下宿先に向かいます。兄は留守でしたが、その間、部屋を見渡すと、座蒲団どころか、調度品とか道具とかいったものは一切なく、部屋のすみに鍋が一つ、釜が一つ、それに茶碗が一つ置いてあり、それだけが兄の全財産でした。
　兄弟で久し振りの夕食が始まります。下宿先の老女中との約束で、飯だけはたいてくれることになっていました。
―――兄さん、これだけですか、と真之が言いたくなるほど、この日の夕食は貧しいものでした。そこに置かれている副食物といえば、沢庵だけでした。尤も、この日だけでなく、好古はいつもこの程度の食事で済ませていました。
　「腹が膨れればええじゃろ」というだけの単純な理由によるもので
　「別段、これで何も苦痛を感じてはいない」と好古は答えるのが常でした。事実、この粗食で十分隊務に服し得たし、七十二才で病没するまで、常に血色はあかあかとしていました。
　もっとも、好古は酒を好みました。この兄弟対面の夕べも、弟には飯を食わせ、自分は酒を飲みました。奇妙なことに好古は、茶碗を一つしか持っていませんでした。一つの茶碗に酒をつぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟に渡します。弟はそれで飯を食う。その間、好古は待っている。時々、兄が、「早く食え」と、せきたてます。この清貧、いいですね。
　中国の上古の高士に、許由(きょゆう)­という隠者が居りました。この人、九州の長官になって欲しいと言われて、（俗っぽい話を聞いた）と云って、川の水で耳を洗い清めた、という逸話が残されています。家も妻子も所帯道具も一切持たず、身一つで生活していたといいます。水が飲みたい時には、川の水を手で掬って飲んでいました。周りの人が見兼ねて、瓢箪(ひょうたん)で造った水容れを贈与したところ、暫らくはそれを使っておりましたが、ある時風が吹いて、樹枝に掛けていた水容れが、カタカタと音を立てて鳴り出したのが、（うるさい）と云って、とうとう捨ててしまったそうです。それからは又空手身一つで生涯を過ごしたといいます。
　同じく中国には、有名な布袋(ほてい)和尚がおりました。小さな体をして、腹が出っぱった例の和尚です。言語常なく、その寝起きは処にしがたい、常に一本の杖に布袋(ぬのぶくろ)をにない街に入って物を乞い、袋中に少しを入れ、又身にまとう全てのものを袋に収納していたという変わった坊さんです。この和尚、実在の人物で、浙江省寧波・奉化県の人です。
　わが日本にも、似たような禅者がおりました。原坦山和尚です。和尚は若い頃、比叡山で学び、後に山を下りて京都の街に「蝸盧(かろ)」（かたつむりの住(すま)い）と命名した家に住んでいました。この住まいは、六尺四方の車の上に屋根を付け、その中を四つに区切り、三尺四方を一室として、一室を居室とし、一室を書房とし、一室を台所とし、一室を物置きとして使っておりました。この車を、東山の日の当たる場所に曳き置き、書を読み写経等をしておりました。食べ物がなくなると、市中に托鉢に出かけ、米や野菜を貰って廻りました。こういう生活を数年に渡って続けたといいます。更に、後に、江戸浅草に出て、長屋住まいして、占い師をしながら、細々と生活していたといいます。しかし、勉学は怠りませんでした。
　明治十二年、東京帝国大学に初めて印度哲学科が置かれた時、その初代講師に招聘されています。明治十八年、選ばれて学士院会員にもなりました。
　明治二十五年七月、四大不調となり、死期の近きを知り、一通の手紙を、友人知人に送ります。その一文です。
「拙者儀、即刻　臨終仕り候。此の段　御通知に及び候也。七月二十七日。坦山」
書き了ってそのまま静かに息を引き取ったそうです。
　蚕は桑の葉だけしか食べません。なまこは昼間、砂の上にいて砂だけを食べているのです。砂粒に生えているバクテリアなんかを消化吸収していて、それで栄養失調にもならず、ものすごく繁殖している。エネルギーを使わないから砂なんか食べて生きていけるのです。ある意味で「省エネ」の権化みたいな動物です。―――砂だけで生きていけるなんてうらやましいですね。砂はいくらでもあるし、逃げることもありません。海の中で、ゴロンとして砂を食べ、私たちのように額に汗してあくせく働くこともしなくていい。砂の上に寝て砂を食べる。食物の上にいるということは、おとぎ話の「お菓子の家」に住んでいるようなもの、天国です。
　なまけもの、という動物がいます。睡眠時間は一日役二十時間、日中に動くのは、木の葉を食べる時の一、二回だけ、一日の移動距離は二、三メートルだけ。活発に動くのは、週に一度の排泄の時だけ。次にその生態、自分が生活する木の葉だけを食べ、その木の根元に穴を掘り排泄する。それがやがて肥料となり、寝床の木が育つエネルギーになる。この簡素さうらやましいですね。けだるそうに枝に爪をかけ、熟睡している寝顔は、何となく愛嬌があり、つい笑をさそわれてしまいます。見る人を癒(いや)し、環境にも優しいので、（癒しもの）とも呼ばれています。人間の怠け者とは一味違います。
　茶碗一ヶ、身一つ、布袋(ぬのぶくろ)一つ、車の家一つ、桑の葉だけ、砂だけ、樹一本だけ、皆々シンプルです。憧れませんか。
（平成２３年２月 無明会法話）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">永源寺派管長　篠原 大雄 老大師</p>
<p>私の一番好きな話を書きます。日露戦争で、連合艦隊の作戦参謀として活躍した、秋山真之のことです。彼は、兄の好古を頼って上京し、当時、陸軍士官学校の教官をしていた兄の下宿先に向かいます。兄は留守でしたが、その間、部屋を見渡すと、座蒲団どころか、調度品とか道具とかいったものは一切なく、部屋のすみに鍋が一つ、釜が一つ、それに茶碗が一つ置いてあり、それだけが兄の全財産でした。</p>
<p>　兄弟で久し振りの夕食が始まります。下宿先の老女中との約束で、飯だけはたいてくれることになっていました。</p>
<p>―――兄さん、これだけですか、と真之が言いたくなるほど、この日の夕食は貧しいものでした。そこに置かれている副食物といえば、沢庵だけでした。尤も、この日だけでなく、好古はいつもこの程度の食事で済ませていました。</p>
<p>　「腹が膨れればええじゃろ」というだけの単純な理由によるもので</p>
<p>　「別段、これで何も苦痛を感じてはいない」と好古は答えるのが常でした。事実、この粗食で十分隊務に服し得たし、七十二才で病没するまで、常に血色はあかあかとしていました。</p>
<p>　もっとも、好古は酒を好みました。この兄弟対面の夕べも、弟には飯を食わせ、自分は酒を飲みました。奇妙なことに好古は、茶碗を一つしか持っていませんでした。一つの茶碗に酒をつぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟に渡します。弟はそれで飯を食う。その間、好古は待っている。時々、兄が、「早く食え」と、せきたてます。この清貧、いいですね。</p>
<p>　中国の上古の高士に、許由(きょゆう)­という隠者が居りました。この人、九州の長官になって欲しいと言われて、（俗っぽい話を聞いた）と云って、川の水で耳を洗い清めた、という逸話が残されています。家も妻子も所帯道具も一切持たず、身一つで生活していたといいます。水が飲みたい時には、川の水を手で掬って飲んでいました。周りの人が見兼ねて、瓢箪(ひょうたん)で造った水容れを贈与したところ、暫らくはそれを使っておりましたが、ある時風が吹いて、樹枝に掛けていた水容れが、カタカタと音を立てて鳴り出したのが、（うるさい）と云って、とうとう捨ててしまったそうです。それからは又空手身一つで生涯を過ごしたといいます。</p>
<p>　同じく中国には、有名な布袋(ほてい)和尚がおりました。小さな体をして、腹が出っぱった例の和尚です。言語常なく、その寝起きは処にしがたい、常に一本の杖に布袋(ぬのぶくろ)をにない街に入って物を乞い、袋中に少しを入れ、又身にまとう全てのものを袋に収納していたという変わった坊さんです。この和尚、実在の人物で、浙江省寧波・奉化県の人です。</p>
<p>　わが日本にも、似たような禅者がおりました。原坦山和尚です。和尚は若い頃、比叡山で学び、後に山を下りて京都の街に「蝸盧(かろ)」（かたつむりの住(すま)い）と命名した家に住んでいました。この住まいは、六尺四方の車の上に屋根を付け、その中を四つに区切り、三尺四方を一室として、一室を居室とし、一室を書房とし、一室を台所とし、一室を物置きとして使っておりました。この車を、東山の日の当たる場所に曳き置き、書を読み写経等をしておりました。食べ物がなくなると、市中に托鉢に出かけ、米や野菜を貰って廻りました。こういう生活を数年に渡って続けたといいます。更に、後に、江戸浅草に出て、長屋住まいして、占い師をしながら、細々と生活していたといいます。しかし、勉学は怠りませんでした。</p>
<p>　明治十二年、東京帝国大学に初めて印度哲学科が置かれた時、その初代講師に招聘されています。明治十八年、選ばれて学士院会員にもなりました。</p>
<p>　明治二十五年七月、四大不調となり、死期の近きを知り、一通の手紙を、友人知人に送ります。その一文です。</p>
<p>「拙者儀、即刻　臨終仕り候。此の段　御通知に及び候也。七月二十七日。坦山」</p>
<p>書き了ってそのまま静かに息を引き取ったそうです。</p>
<p>　蚕は桑の葉だけしか食べません。なまこは昼間、砂の上にいて砂だけを食べているのです。砂粒に生えているバクテリアなんかを消化吸収していて、それで栄養失調にもならず、ものすごく繁殖している。エネルギーを使わないから砂なんか食べて生きていけるのです。ある意味で「省エネ」の権化みたいな動物です。―――砂だけで生きていけるなんてうらやましいですね。砂はいくらでもあるし、逃げることもありません。海の中で、ゴロンとして砂を食べ、私たちのように額に汗してあくせく働くこともしなくていい。砂の上に寝て砂を食べる。食物の上にいるということは、おとぎ話の「お菓子の家」に住んでいるようなもの、天国です。</p>
<p>　なまけもの、という動物がいます。睡眠時間は一日役二十時間、日中に動くのは、木の葉を食べる時の一、二回だけ、一日の移動距離は二、三メートルだけ。活発に動くのは、週に一度の排泄の時だけ。次にその生態、自分が生活する木の葉だけを食べ、その木の根元に穴を掘り排泄する。それがやがて肥料となり、寝床の木が育つエネルギーになる。この簡素さうらやましいですね。けだるそうに枝に爪をかけ、熟睡している寝顔は、何となく愛嬌があり、つい笑をさそわれてしまいます。見る人を癒(いや)し、環境にも優しいので、（癒しもの）とも呼ばれています。人間の怠け者とは一味違います。</p>
<p>　茶碗一ヶ、身一つ、布袋(ぬのぶくろ)一つ、車の家一つ、桑の葉だけ、砂だけ、樹一本だけ、皆々シンプルです。憧れませんか。</p>
<p align="right">（平成２３年２月 無明会法話）</p>
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		<title>生涯学習・生涯修行</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Jan 2011 00:51:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

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		<description><![CDATA[永源寺派管長　篠原 大雄
近年、生涯学習ということがしきりに言われるようになってきました。日本も高齢化社会になりつつたり、人間の生きがいの求め方や精神力維持の大切さが意識され始めたのだと思います。頭も体も、死ぬまで使い続けるのが、身心身の健康のためになることは確かのようです。私ども禅門でも「死ぬまで修行」とか「釈迦(しゃか)達磨(だるま)も今なお修行中」とか申しまして、生涯、日々の精進努力を怠ってはいけないと戒めております。
　先日、大津市在住の八十歳の老人の話を聞きました。この方は、六十歳の時に発心して勉強を始め、二十年かけて通信制の高校と大学を卒業され、今年は仏教大学の大学院入学試験を受験されたといます。この意気やよし、この熱意や見習うべしというべきです。二十年の間には、何度も卒業試験に落ちたり、脳溢血で倒れたりしながらも、こつこつと勉強を続けてこられたといいます。生涯学習の手本のような尊い方だと感服しました。
　私どもの大先輩で、中国の唐の時代に趙州(じょうしゅう)という和尚がおられます。幼少のころ僧となり、南泉(なんせん)和尚について修行されました。ある時「道とは何ですか」と質問したところ、南泉は「平常心がそのまま道だ」と答えました。趙州はこの一言で悟りを開きます。この時、趙州は十八歳でした。それから四十年間、趙州は南泉に仕え、悟後(ごご)（悟った後）の修行を積みます。師匠の南泉が亡くなって、さらに三年間喪に服し、やっと趙州が一人立ちしたときにはもう六十歳になっていました。
　これからの趙州がすばらしいのです。三年間の喪が明けてから、彼は、水瓶と錫杖(しゃくじょう)だけを持って、再び行雲流水の行脚に旅立っていきます。そして各地を二十年間遍歴して歩きます。その出発の時の誓いの言葉が残っています。「たとえ七歳の子供でも、私より優(すぐ)れているものがいたらその人に教えを乞おう。百歳の老翁でも、私に及ばぬなら、私は教えを説こう」というのです。
　齢八十を迎えて、趙州はやっと腰を落ち着け、観音院という田舎の貧乏寺の住職になります。寺での生活ぶりはまことに質素枯淡、粗食粗衣で通され、多くの人々を教化され、あらゆる人々に慕われたといいます。かくすること四十年、百二十歳でこの世を去られます。趙州老(ろう)古仏(こぶつ)と呼ばれ今に至るまで敬愛されています。私どもにとっては生涯修行・生涯学習の見本のような偉大な方であります。
（平成２３年１月 無明会法話）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">永源寺派管長　篠原 大雄</p>
<p>近年、生涯学習ということがしきりに言われるようになってきました。日本も高齢化社会になりつつたり、人間の生きがいの求め方や精神力維持の大切さが意識され始めたのだと思います。頭も体も、死ぬまで使い続けるのが、身心身の健康のためになることは確かのようです。私ども禅門でも「死ぬまで修行」とか「釈迦(しゃか)達磨(だるま)も今なお修行中」とか申しまして、生涯、日々の精進努力を怠ってはいけないと戒めております。</p>
<p>　先日、大津市在住の八十歳の老人の話を聞きました。この方は、六十歳の時に発心して勉強を始め、二十年かけて通信制の高校と大学を卒業され、今年は仏教大学の大学院入学試験を受験されたといます。この意気やよし、この熱意や見習うべしというべきです。二十年の間には、何度も卒業試験に落ちたり、脳溢血で倒れたりしながらも、こつこつと勉強を続けてこられたといいます。生涯学習の手本のような尊い方だと感服しました。</p>
<p>　私どもの大先輩で、中国の唐の時代に趙州(じょうしゅう)という和尚がおられます。幼少のころ僧となり、南泉(なんせん)和尚について修行されました。ある時「道とは何ですか」と質問したところ、南泉は「平常心がそのまま道だ」と答えました。趙州はこの一言で悟りを開きます。この時、趙州は十八歳でした。それから四十年間、趙州は南泉に仕え、悟後(ごご)（悟った後）の修行を積みます。師匠の南泉が亡くなって、さらに三年間喪に服し、やっと趙州が一人立ちしたときにはもう六十歳になっていました。</p>
<p>　これからの趙州がすばらしいのです。三年間の喪が明けてから、彼は、水瓶と錫杖(しゃくじょう)だけを持って、再び行雲流水の行脚に旅立っていきます。そして各地を二十年間遍歴して歩きます。その出発の時の誓いの言葉が残っています。「たとえ七歳の子供でも、私より優(すぐ)れているものがいたらその人に教えを乞おう。百歳の老翁でも、私に及ばぬなら、私は教えを説こう」というのです。</p>
<p>　齢八十を迎えて、趙州はやっと腰を落ち着け、観音院という田舎の貧乏寺の住職になります。寺での生活ぶりはまことに質素枯淡、粗食粗衣で通され、多くの人々を教化され、あらゆる人々に慕われたといいます。かくすること四十年、百二十歳でこの世を去られます。趙州老(ろう)古仏(こぶつ)と呼ばれ今に至るまで敬愛されています。私どもにとっては生涯修行・生涯学習の見本のような偉大な方であります。</p>
<p style="text-align: right;">（平成２３年１月 無明会法話）</p>
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		<title>木石</title>
		<link>http://shinshoji.com/info/?p=145</link>
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		<pubDate>Sat, 11 Dec 2010 21:56:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[今月の法話]]></category>

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		<description><![CDATA[永源寺派管長 篠原大雄 老大師　
木石(ぼくせき)という言葉があります。木石のような人、という表現は、木や石のように、非情で、人間としての情を解さない人のことをいいます。私共僧侶は、特に女性から遠ざかっているような人は、この類(たぐ)いの人と見られがちであります。確かに、出家者にはそういう一面もあります。次に出てくる話の僧侶などは、その代表的な人と言えるかもしれません。しかしながら、僧侶とはいえども、血の通った人間である以上、女性の問題を無視しては通れないでしょう。私共僧侶は、朝夕いわゆる「禅(ぜん)問答(もんどう)」を重ねながら修行してゆく訳ですが、その中に、二つだけ、女性問題をテーマとしたものがあります。厳しい禅修行のある時期に、木石のように思われ易い私共も、真剣に女性の問題に取り組まされるのです。もっとも有名なものをまず紹介致しましょう。中国の「五(ご)灯(とう)会(え)元(げん)」という本に載る話です。
　昔、ある老婆が、一人の僧を供養して、庵(いほり)に住まわせ、二十年の間、いつも十六、七歳の女の子に食事を運ばせて給仕させておりました。ある日、どれぐらい修行できているか試そうと思ったのでしょう、老婆は、給仕の女の子にあることを言い含めます。女の子は老婆に言われた通りに僧に近づき、抱きついて、「抱いて」といいます。その時、この僧はこう答えます。「枯木(こぼく)　寒(かん)巌(げん)に倚(よ)り、三(さん)冬(とう)　暖気(だんき)なし。」（枯れ木が寒巌に倚りそうようで、大寒の時のように何の暖か味もない。）女性に抱きつかれても、何とも感じないというのです。まさしく木石の人です。女の子は帰って老婆にこの一部始終を話しました。老婆はこの話を聞いて、「私は二十年もの間、ただこのろくでなし野郎（箇(こ)の俗漢）を供養していただけだったのか。」といって、この僧を追い出し、住んでいた庵を焼き払ってしまったといいます。「婆(ば)子(す)焼(しょう)庵(あん)」といって、古来からやかましい「禅問答」であります。
　もし女の子を抱いてしまえば、女犯という仏の戒(いまし)めに背(そむ)くことになります。もし抱かなかったら、人情に背くことになります。抱いてもいけない、抱かなくてもいけないのです。ではこの時どう対処したらいいのか、というのがこの話のテーマになってくるのです。どうしたら老婆の気に入ったのでしょうか。皆さんならどうされますか。
　古人はこの話に次の歌を付しています。
「水の面(も)に　夜な夜な月は通えども　姿も留(と)めず　跡も残さず」
もう一つ、「倩(せい)女(じょ)離(り)魂(こん)」という禅問答を紹介致します。これも中国唐代の伝奇小説「離魂記」からのものです。
　時は唐代、ある人に二人の娘がありました。姉は早く死んだので、妹の倩女を大事に育てておりました。大変美しい娘だったので、多くの求婚者がありましたが、父は、その中から賓僚という青年と結婚させることにしました。ところが倩女には王宙という意中の美青年があり、永年思いつめておりました。そこで怏(おう)々として楽しまぬ倩女はとうとう重病になって寝込んでしまいました。一方、王宙は失意のうちに他国へ去ってゆきます。ところが、夜中に倩女が王宙を追って来たので、二人は相伴って屬(しょく)の国に入り夫婦となります。何年かが過ぎ、二人は相共に故郷に帰ってまいります。ところが、聞くと、倩女はあれ以来、ずっと実家で病床に臥したままであるといいます。不思議なこともあるものかな、というので、やがて二人の倩女を会わせることにしました。人々の見守る中、病床の倩女と他国から帰った倩女はだんだんと近づき、とうとう合体して一つとなり、いづれがいづれか分からなくなったといいます。
　この話で私共が問題にするのは、「外の倩女と内の倩女とどちらが真の倩女か」ということです。さてどちらだと思われますか。
　古人はこの話に次のような歌を付しています。
「女郎花(おみなえし)　男山にもふもとにも　身を分けてこそ　咲ける真心。」
「荒磯の　岩にくだけて散る月の　まどかにのせて　帰る浦（白）波。」
「唐崎の　松は二つに見えにけり　寄せくる波に　影を映して。」
　最後に、禅僧は、必ずしも木石ばかりではないという面白い話を一つ。
　江戸時代、博多に仙厓和尚という禅僧がおりました。元日の朝、門前の一人の男が寺にかけ込んで来ました。
「和尚さん、一寸来て下さい。隣の夫婦が正月早々つかみ合いの大喧嘩をしております。」
「ほお、又何が原因かな？」
「それが何でもお雑煮を煮過ぎたとか何とかいうております」
「うん、そりゃめでたい。一寸待ちなさい」
そこで白紙にさらさらと富士山の絵を描き、それに賛をしたためて、
「さあ早うこのお薬を持って行って飲ましてやんなさい」
仙厓和尚の絵と賛を見た夫婦は、互いに目を見合わせて笑い出し、喧嘩は瞬時にしておさまったといいます。
賛は次のように書いてあったそうです。
「富士の白雪　朝日でとける　今朝の雑煮は　煮てとける　夫婦喧嘩は　寝てとける」
（平成２２年１２月 無明会法話）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">永源寺派管長 篠原大雄 老大師　</p>
<p>木石(ぼくせき)という言葉があります。木石のような人、という表現は、木や石のように、非情で、人間としての情を解さない人のことをいいます。私共僧侶は、特に女性から遠ざかっているような人は、この類(たぐ)いの人と見られがちであります。確かに、出家者にはそういう一面もあります。次に出てくる話の僧侶などは、その代表的な人と言えるかもしれません。しかしながら、僧侶とはいえども、血の通った人間である以上、女性の問題を無視しては通れないでしょう。私共僧侶は、朝夕いわゆる「禅(ぜん)問答(もんどう)」を重ねながら修行してゆく訳ですが、その中に、二つだけ、女性問題をテーマとしたものがあります。厳しい禅修行のある時期に、木石のように思われ易い私共も、真剣に女性の問題に取り組まされるのです。もっとも有名なものをまず紹介致しましょう。中国の「五(ご)灯(とう)会(え)元(げん)」という本に載る話です。</p>
<p>　昔、ある老婆が、一人の僧を供養して、庵(いほり)に住まわせ、二十年の間、いつも十六、七歳の女の子に食事を運ばせて給仕させておりました。ある日、どれぐらい修行できているか試そうと思ったのでしょう、老婆は、給仕の女の子にあることを言い含めます。女の子は老婆に言われた通りに僧に近づき、抱きついて、「抱いて」といいます。その時、この僧はこう答えます。「枯木(こぼく)　寒(かん)巌(げん)に倚(よ)り、三(さん)冬(とう)　暖気(だんき)なし。」（枯れ木が寒巌に倚りそうようで、大寒の時のように何の暖か味もない。）女性に抱きつかれても、何とも感じないというのです。まさしく木石の人です。女の子は帰って老婆にこの一部始終を話しました。老婆はこの話を聞いて、「私は二十年もの間、ただこのろくでなし野郎（箇(こ)の俗漢）を供養していただけだったのか。」といって、この僧を追い出し、住んでいた庵を焼き払ってしまったといいます。「婆(ば)子(す)焼(しょう)庵(あん)」といって、古来からやかましい「禅問答」であります。</p>
<p>　もし女の子を抱いてしまえば、女犯という仏の戒(いまし)めに背(そむ)くことになります。もし抱かなかったら、人情に背くことになります。抱いてもいけない、抱かなくてもいけないのです。ではこの時どう対処したらいいのか、というのがこの話のテーマになってくるのです。どうしたら老婆の気に入ったのでしょうか。皆さんならどうされますか。</p>
<p>　古人はこの話に次の歌を付しています。</p>
<p>「水の面(も)に　夜な夜な月は通えども　姿も留(と)めず　跡も残さず」</p>
<p>もう一つ、「倩(せい)女(じょ)離(り)魂(こん)」という禅問答を紹介致します。これも中国唐代の伝奇小説「離魂記」からのものです。</p>
<p>　時は唐代、ある人に二人の娘がありました。姉は早く死んだので、妹の倩女を大事に育てておりました。大変美しい娘だったので、多くの求婚者がありましたが、父は、その中から賓僚という青年と結婚させることにしました。ところが倩女には王宙という意中の美青年があり、永年思いつめておりました。そこで怏(おう)々として楽しまぬ倩女はとうとう重病になって寝込んでしまいました。一方、王宙は失意のうちに他国へ去ってゆきます。ところが、夜中に倩女が王宙を追って来たので、二人は相伴って屬(しょく)の国に入り夫婦となります。何年かが過ぎ、二人は相共に故郷に帰ってまいります。ところが、聞くと、倩女はあれ以来、ずっと実家で病床に臥したままであるといいます。不思議なこともあるものかな、というので、やがて二人の倩女を会わせることにしました。人々の見守る中、病床の倩女と他国から帰った倩女はだんだんと近づき、とうとう合体して一つとなり、いづれがいづれか分からなくなったといいます。</p>
<p>　この話で私共が問題にするのは、「外の倩女と内の倩女とどちらが真の倩女か」ということです。さてどちらだと思われますか。</p>
<p>　古人はこの話に次のような歌を付しています。</p>
<p>「女郎花(おみなえし)　男山にもふもとにも　身を分けてこそ　咲ける真心。」</p>
<p>「荒磯の　岩にくだけて散る月の　まどかにのせて　帰る浦（白）波。」</p>
<p>「唐崎の　松は二つに見えにけり　寄せくる波に　影を映して。」</p>
<p>　最後に、禅僧は、必ずしも木石ばかりではないという面白い話を一つ。</p>
<p>　江戸時代、博多に仙厓和尚という禅僧がおりました。元日の朝、門前の一人の男が寺にかけ込んで来ました。</p>
<p>「和尚さん、一寸来て下さい。隣の夫婦が正月早々つかみ合いの大喧嘩をしております。」</p>
<p>「ほお、又何が原因かな？」</p>
<p>「それが何でもお雑煮を煮過ぎたとか何とかいうております」</p>
<p>「うん、そりゃめでたい。一寸待ちなさい」</p>
<p>そこで白紙にさらさらと富士山の絵を描き、それに賛をしたためて、</p>
<p>「さあ早うこのお薬を持って行って飲ましてやんなさい」</p>
<p>仙厓和尚の絵と賛を見た夫婦は、互いに目を見合わせて笑い出し、喧嘩は瞬時にしておさまったといいます。</p>
<p>賛は次のように書いてあったそうです。</p>
<p>「富士の白雪　朝日でとける　今朝の雑煮は　煮てとける　夫婦喧嘩は　寝てとける」</p>
<p style="text-align: right;">（平成２２年１２月 無明会法話）</p>
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		<title>一歩退いて</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 15:00:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[永源寺派管長　篠原大雄 老大師
 
私の知人の話です。親夫婦は六十代、長男夫婦は二十代。長男は、二年前に結婚して、京都市内で共働きしています。両親は、早く田舎の実家に帰って来てほしい、何のために嫁をもらったのか分からんと苦情を言います。
　若夫婦は、両親ともさして老齢でもないし、今しばらく都会で生活したいと考えています。双方が、私のもとへ相手方を説得してくれと頼みに来られます。最初は話し合いの様（さま）でしたが、お互いが主張を繰り返しているうちに、次第に感情的になりけんか腰になってきます。
　聞いている方はいやになってきます。人間が対立をするのは、それぞれに我（が）というものがあって、自分の意見が正しいと信じ込んでいるからなのです。中国にこんな話があります。男が一人、高い土手に立っています。数人の男が連れ立って通りがかります。土手に立っている男を見て一人が言います。「あの人はきっと犬を見失ったのだろう。」もう一人が言います。「仲間にはぐれたのだろう。」さらに一人が、「風に吹かれて涼をとっているのだろう。」と言います。
　三人はお互いに言い争って決着がつきません。とうとう土手の男に近寄って尋ねます。「犬を見失ったのですか」「いいえ」「仲間にはぐれたのですか」「いいえ」「風に吹かれていたのですか」「いいえ」｢どれでもないとすると、どうしてここに立っているのですか｣「私はただ立っているだけです」
　諍（いさか）いは誰も好みません。瓢箪（ひょうたん）の画の讃（さん）に「ぴちゃぴちゃ言うのは足（た）らぬから」という句をよく見かけます。がたがた言うのは自分が至らないからだというのでしょう。
　釈尊の説教集にもこんな言葉があります。「川底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである」
　私は若夫婦に、主張するだけでなく、一歩退いて考える工夫をするよう助言をしました。一歩退くと、相手はすっとこちらに近寄ってくるものです。
　男と女の面白い掛け合いの川柳があります。（男）「お前みたいなお多福面（づら）を私なりゃこそおいてやる」（女）「私なりゃこそおってもやるが誰が見るぞえ痩せ所帯。」もう一つ。（女）「私みたいなふつつか者をあなたなりゃこそ親切に」（男）「お前なりゃこそ出世もしたよ。苦労したもの甲斐（かい）がある。」
（平成２２年１１月 無明会法話）
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			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">永源寺派管長　篠原大雄 老大師</p>
<p> </p>
<p>私の知人の話です。親夫婦は六十代、長男夫婦は二十代。長男は、二年前に結婚して、京都市内で共働きしています。両親は、早く田舎の実家に帰って来てほしい、何のために嫁をもらったのか分からんと苦情を言います。</p>
<p>　若夫婦は、両親ともさして老齢でもないし、今しばらく都会で生活したいと考えています。双方が、私のもとへ相手方を説得してくれと頼みに来られます。最初は話し合いの様（さま）でしたが、お互いが主張を繰り返しているうちに、次第に感情的になりけんか腰になってきます。</p>
<p>　聞いている方はいやになってきます。人間が対立をするのは、それぞれに我（が）というものがあって、自分の意見が正しいと信じ込んでいるからなのです。中国にこんな話があります。男が一人、高い土手に立っています。数人の男が連れ立って通りがかります。土手に立っている男を見て一人が言います。「あの人はきっと犬を見失ったのだろう。」もう一人が言います。「仲間にはぐれたのだろう。」さらに一人が、「風に吹かれて涼をとっているのだろう。」と言います。</p>
<p>　三人はお互いに言い争って決着がつきません。とうとう土手の男に近寄って尋ねます。「犬を見失ったのですか」「いいえ」「仲間にはぐれたのですか」「いいえ」「風に吹かれていたのですか」「いいえ」｢どれでもないとすると、どうしてここに立っているのですか｣「私はただ立っているだけです」</p>
<p>　諍（いさか）いは誰も好みません。瓢箪（ひょうたん）の画の讃（さん）に「ぴちゃぴちゃ言うのは足（た）らぬから」という句をよく見かけます。がたがた言うのは自分が至らないからだというのでしょう。</p>
<p>　釈尊の説教集にもこんな言葉があります。「川底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである」</p>
<p>　私は若夫婦に、主張するだけでなく、一歩退いて考える工夫をするよう助言をしました。一歩退くと、相手はすっとこちらに近寄ってくるものです。</p>
<p>　男と女の面白い掛け合いの川柳があります。（男）「お前みたいなお多福面（づら）を私なりゃこそおいてやる」（女）「私なりゃこそおってもやるが誰が見るぞえ痩せ所帯。」もう一つ。（女）「私みたいなふつつか者をあなたなりゃこそ親切に」（男）「お前なりゃこそ出世もしたよ。苦労したもの甲斐（かい）がある。」</p>
<p align="right">（平成２２年１１月 無明会法話）</p>
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