臨済宗建仁寺派 神勝禅寺

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    2015年02月03日

    法話

    シンプルがいい

    前永源寺派管長 篠原大雄老大師

    私の一番好きな話を書きます。日露戦争で、連合艦隊の作戦参謀として活躍した、秋山真之のことです。彼は、兄の好古を頼って上京し、当時、陸軍士官学校の教官をしていた兄の下宿先に向かいます。兄は留守でしたが、その間、部屋を見渡すと、座蒲団どころか、調度品とか道具とかいったものは一切なく、部屋のすみに鍋が一つ、釜が一つ、それに茶碗が一つ置いてあり、それだけが兄の全財産でした。

    兄弟で久し振りの夕食が始まります。下宿先の老女中との約束で、飯だけはたいてくれることになっていました。

    ―――兄さん、これだけですか、と真之が言いたくなるほど、この日の夕食は貧しいものでした。そこに置かれている副食物といえば、沢庵だけでした。尤も、この日だけでなく、好古はいつもこの程度の食事で済ませていました。

    「腹が膨れればええじゃろ」というだけの単純な理由によるもので

    「別段、これで何も苦痛を感じてはいない」と好古は答えるのが常でした。事実、この粗食で十分隊務に服し得たし、七十二才で病没するまで、常に血色はあかあかとしていました。

    もっとも、好古は酒を好みました。この兄弟対面の夕べも、弟には飯を食わせ、自分は酒を飲みました。奇妙なことに好古は、茶碗を一つしか持っていませんでした。一つの茶碗に酒をつぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟に渡します。弟はそれで飯を食う。その間、好古は待っている。時々、兄が、「早く食え」と、せきたてます。この清貧、いいですね。

    中国の上古の高士に、許由(きょゆう)­という隠者が居りました。この人、九州の長官になって欲しいと言われて、(俗っぽい話を聞いた)と云って、川の水で耳を洗い清めた、という逸話が残されています。家も妻子も所帯道具も一切持たず、身一つで生活していたといいます。水が飲みたい時には、川の水を手で掬って飲んでいました。周りの人が見兼ねて、瓢箪(ひょうたん)で造った水容れを贈与したところ、暫らくはそれを使っておりましたが、ある時風が吹いて、樹枝に掛けていた水容れが、カタカタと音を立てて鳴り出したのが、(うるさい)と云って、とうとう捨ててしまったそうです。それからは又空手身一つで生涯を過ごしたといいます。

    同じく中国には、有名な布袋(ほてい)和尚がおりました。小さな体をして、腹が出っぱった例の和尚です。言語常なく、その寝起きは処にしがたい、常に一本の杖に布袋(ぬのぶくろ)をにない街に入って物を乞い、袋中に少しを入れ、又身にまとう全てのものを袋に収納していたという変わった坊さんです。この和尚、実在の人物で、浙江省寧波・奉化県の人です。

    わが日本にも、似たような禅者がおりました。原坦山和尚です。和尚は若い頃、比叡山で学び、後に山を下りて京都の街に「蝸盧(かろ)」(かたつむりの住(すま)い)と命名した家に住んでいました。この住まいは、六尺四方の車の上に屋根を付け、その中を四つに区切り、三尺四方を一室として、一室を居室とし、一室を書房とし、一室を台所とし、一室を物置きとして使っておりました。この車を、東山の日の当たる場所に曳き置き、書を読み写経等をしておりました。食べ物がなくなると、市中に托鉢に出かけ、米や野菜を貰って廻りました。こういう生活を数年に渡って続けたといいます。更に、後に、江戸浅草に出て、長屋住まいして、占い師をしながら、細々と生活していたといいます。しかし、勉学は怠りませんでした。

    明治十二年、東京帝国大学に初めて印度哲学科が置かれた時、その初代講師に招聘されています。明治十八年、選ばれて学士院会員にもなりました。

    明治二十五年七月、四大不調となり、死期の近きを知り、一通の手紙を、友人知人に送ります。その一文です。

    「拙者儀、即刻 臨終仕り候。此の段 御通知に及び候也。七月二十七日。坦山」

    書き了ってそのまま静かに息を引き取ったそうです。

    蚕は桑の葉だけしか食べません。なまこは昼間、砂の上にいて砂だけを食べているのです。砂粒に生えているバクテリアなんかを消化吸収していて、それで栄養失調にもならず、ものすごく繁殖している。エネルギーを使わないから砂なんか食べて生きていけるのです。ある意味で「省エネ」の権化みたいな動物です。―――砂だけで生きていけるなんてうらやましいですね。砂はいくらでもあるし、逃げることもありません。海の中で、ゴロンとして砂を食べ、私たちのように額に汗してあくせく働くこともしなくていい。砂の上に寝て砂を食べる。食物の上にいるということは、おとぎ話の「お菓子の家」に住んでいるようなもの、天国です。

    なまけもの、という動物がいます。睡眠時間は一日役二十時間、日中に動くのは、木の葉を食べる時の一、二回だけ、一日の移動距離は二、三メートルだけ。活発に動くのは、週に一度の排泄の時だけ。次にその生態、自分が生活する木の葉だけを食べ、その木の根元に穴を掘り排泄する。それがやがて肥料となり、寝床の木が育つエネルギーになる。この簡素さうらやましいですね。けだるそうに枝に爪をかけ、熟睡している寝顔は、何となく愛嬌があり、つい笑をさそわれてしまいます。見る人を癒(いや)し、環境にも優しいので、(癒しもの)とも呼ばれています。人間の怠け者とは一味違います。

    茶碗一ヶ、身一つ、布袋(ぬのぶくろ)一つ、車の家一つ、桑の葉だけ、砂だけ、樹一本だけ、皆々シンプルです。憧れませんか。

     

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