天心山神勝寺は、昭和40年(1965)12月2日益州宗進禅師(臨済宗建仁寺派第7代管長)に深く帰依された開基神原秀夫氏が禅師を開山に招請して建立された臨済宗建仁寺派の特例地寺院である。
神勝寺は亡くなられた方々の供養の場であると共に、境内には無明院や国際禅道場など多くの伽藍が建ち並び、また表千家不審庵の古図を忠実に再現した「秀路軒」などの茶室を設け、禅と茶道を根本として日本のみならず海外にも広く門戸を開き、臨済禅を通じて今まさに生きている方々が「今を生きる」ために己を見つめ共に研鑽する場である。
御本尊は弥勒菩薩、寺号は開基の父神原勝太郎に因る。
山号 | 天心山(てんしんざん) |
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創建 | 昭和40年12月2日 |
本尊 | 弥勒菩薩 |
鎮守 | 弥勒里天満宮(太宰府天神を勧請して祀る) |
宗派 | 禅宗・臨済宗建仁寺派 |
寺紋 | 梅鉢 |
小堀 泰巖 |
伏見 泰治 |
神原 勝成 |
神原 英治 |
武田 義輝 |
芳賀 広人 |
- 益州禅師
(京都建仁寺派管長) - 當山勧請開山益州禅師は、道号 益州、法諱 宗進、金剛窟と号す。俗称は土田のち竹田と改称。明治29年(1896)7月10日大分県国東半島に生を受け、11歳で滋賀県堅田町の祥瑞寺大友宗忠和尚について得度。大正4年5月に京都建仁寺僧堂に掛搭し、竹田黙雷及び竹田頴川両老師に参禅弁道、竹田頴川老師に嗣法する。
滋賀県祥瑞寺、京都大徳寺塔頭大仙院の両寺院住職や大徳寺執事長を経て、昭和19年からは建仁寺僧堂師家、同29年には建仁寺派管長(第7代)に就任し教化布教に務められ、昭和40年には當山の勧請開山となられた。平成元年6月20日に92歳で遷化。
- 神原秀夫
(天勝院殿釈五徳秀嶺大居士前常石造船株式会社社長) - 大正5年(1916)9月1日 父 神原勝太郎、母 ヒサの長男として出生。幾度もの戦役への出征を経験する。昭和14年(1939)立命館大学法学部卒業。除隊後は父の経営する会社に入社し、昭和19年(1944)瀬戸内海船舶株式会社(現 神原汽船株式会社)社長兼常石造船株式会社副社長に就任。昭和30年(1955)沼隈町初代町長に就任。昭和36年(1961)父の逝去に伴い、常石造船社長に就任。昭和40年(1965)12月2日神勝寺を建立(宗教法人認可)、開基となる。昭和52年(1977)2月16日神勝寺無明院を建立・落慶法要。無明院の落慶法要を目にすることなく3月12日、入院先の京都大学附属病院にて逝去。60歳